「熱帯と創作」(6)『麦と兵隊』~時局に便乗した作家だったのか~
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昭和十三年、国家総動員法が施行され、日本は国民すべてを戦争に巻き込む総力戦へ突入しました。日中戦争の最中でした。同様に多くの作家も報道というかたちで戦地へ出かけていきました。いわゆる「従軍報道作家」です。この時局に乗った作家の双璧は火野葦平と林芙美子だったと思います。
火野は中支那派遣軍報道部に転属となり、徐州会戦の実態を報告、宣伝してほしいとの軍部からの強い要請を受けました。その徐州会戦において、従軍作家として書いた作品が『麦と兵隊』です。火野は最初、軍からの誘いを断っています。報道部は後方部隊なので助かる確率が高く、ふつうはみな飛びつきますが、火野は拒否しました。自身の分隊長としての立場、十数名の兵士の身を預かる立場を考えてのことでした。しかし、厳しい前線を潜り抜けてきた火野だからこそ戦う兵士の気持がわかるはず、火野には書く使命がある、と軍から猛烈に口説かれ、最終的に引き受けざるを得ませんでした。
『麦と兵隊』は、<私は今その麦畑の上を確固たる足どりを以て踏みしめ、蜿蜒と進軍してゆく軍隊を眺め、その溢れ立ちもり上り、殺到してゆく生命力の逞しさに胸衝かれた>と兵隊の行軍を美化します。しかし、最後は数珠繋ぎにされた三人の中国兵を日本兵が殺す場面で終わっています。
<掛け声と共に打ち降すと、首は毬のように飛び、血が簓のように噴き出して、次々に三人の支那兵 は死んだ。私は眼を反した。私は悪魔になってはいなかった。私はそれを知り、深く安堵した>
火野はこの最後の文章に精一杯の思いを込めたのではないでしょうか。軍部の圧力の中で戦争という避けようのない現実に誠実に向き合い、その中で可能な限り自身の思いとの折り合いをつけようとする姿、その苦悩の姿が最後の文章ではなかったかと思います。『戦場で書く』(渡辺孝著、2015年刊)によると<火野は、小説に書ききれない戦場の実状を、そして、それを自身がどう感じているのかを、せめて家族には伝えようと必死な思いで筆を走らせた>とあります。家族には自身も関わった中国人捕虜殺傷について「戦争は悲惨だと、つくづく、思いました」と心情を吐露しています。
『麦と兵隊』他「兵隊シリーズ」を書いたことで火野は一躍人気作家となりました。時局に便乗したと言われましたが、はたしてそうだったのでしょうか。私には、軍部の厳しい検閲の中、できる限り兵隊の視点から戦場で体感したことを真摯に書いただけだと思えます。のちの火野の言動を知ると、尚のことそう感じるのですが、そのことは次の稿でまた書きたいと思います。
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