ことばのさすらい
~「俳句」と「異文化」による出会い~

この一句

ぎりぎりの裸でゐる時も貴族

ぎりぎりの裸でゐる時も貴族

櫂未知子

 この句に最初出合ったとき、衝撃が走りました。俳句はおもしろい、と思ったのもひょっとしたらこの句との出合いからかもしれません。エロチックな情景を打ち出しながら「貴族」で着地。五・九・三の破調も内容にぴったりです。「群青」の共同代表の櫂未知子さんの第一句集『貴族』(1996年刊)にある句で、作者三十六歳の句集です。私は常々「俳句はイノベーション」と思っています。当たり前のことを表現しても「それで?」となってしまいます。「なるほど、そういうことだったのか」「そんな見方もあるんだ」「言われてみればそのとおりだ」といったコメントが得られたら、その句は読者の心を捉えたといえます。俳句のおもしろさの一つは、「気づき」を得ることではないか、それは一種の「イノベーション」ではないかと私は思っています。「イノベーション」とはこれまでの価値軸をずらしたり、新たな価値軸を打ち立てることと理解していますが、この句の場合、「貴族」と言い切ったことで、「淫ら」とか「やらしい」といった負の感情が一気に吹っ飛び、「気品」にまで高められています。見事な価値転換です。表現的にも「貴族」で止めたことで圧倒的な「気品」を感じさせます。    (2025.11.27 【6】)

筆者紹介

仲 栄司

Eiji Naka

大学でドイツ語を学び、1982年、日本電気(株)に入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国。
趣味は俳句。『ダリの時計』(句集)、『墓碑はるかなり』(評論)を上梓。
座右の銘は「南国のしあはせバナナあれば足る」
東南アジアの「空気感」が大好きです。