ことばのさすらい
~「俳句」と「異文化」による出会い~

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「俳句の視点から」(3)分かる、分からない

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「俳句の視点から」(3)分かる、分からない

 

 「役に立つ」知識を手っ取り早く身につけたい、という要望を「ファスト教養」と名付けたのは、2022年に刊行された『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』の著者、レジ―でした。この書は、自分の成長、成功を追い求めるがために結論を急ぎ、いわゆる「タイパ(時間対効率)」を重視した今の社会動向を分析しています。また、レジ―は、映画『花束みたいな恋をした』(2021年)に対し、社会人になって文化的なものとの距離が少しづつ離れていく描写がとてもリアルな映画だったとも書いています。

 『映画を早送りで観る人たち』(著者:稲田豊史、2022 年刊)も似たような社会動向を指摘しています。「倍速でストーリーは十分理解できるのに、なんでわざわざ等倍速で観ないといけないのか」という理屈です。さらに、倍速で観ることすらまだるっこしいという人は、「ネタバレ」という情報ソースで作品の重要な仕掛けや結末を手っ取り早く知ろうとします。

 2019年12月号の『俳句』の「現代俳句時評」に神野紗希が『世界最短「詩」』をテーマに書いています。その中で神野は、川本晧嗣の『俳諧の詩学』(2019年刊)を紹介しています。この書によれば、詩の特徴は「表現の意外性」と「意味の不確定性」にあるとされ、俳句は「短いからこそ、<詩>が前面に出る」「意味の不確定性そのものを表面化し、強調し、読者に痛感させる」ことのできる「詩のなかの詩」だと俳句を定義付けています。川本の定義について神野は、俳句はストーリーや思想を入れる余裕がないためそのように定義付けられるとも述べています。

 意味が不確定ということは、川本によれば「よくできた俳句の妙味は、最終的・決定的な意味の読み取りではなく、そういうきりのない往復運動にある。(中略)表現と解釈のあいだを行ったり来たりするその行為そのものが、<詩>なんだ」といいます。神野はそれを受け、「きりのない往復運動」という回り道にこそ、詩の楽しみがあると解釈しています。

 意味が不確定ということは、どこか引っかかる感じが生じ、「分からない」という感覚が生まれます。しかし、神野はそのことを肯定的に捉えます。<「分からない」ことは不安だ。ことに不況や災害や政治不信が長引く現代、世の中は不安に疲れている。でもそんな今だからこそ、俳句が「詩」であること、俳句を「詩」たらしめることを諦めたくない。「分からない」が抱いているかもしれない「詩」を感知したい>と述べます。さらに<「分かる」過去より「分からない」から始まる未来を。これからの俳句が、変わらず、詩であり続けるために>というメッセージで時評を締めくくっています。

 俳句はたった十七音しかないのですから、意味が確定できるわけがありません。確定できないから「分からない」のです。しかし、だからこそ多様な解釈が成り立つわけです。解釈が一つに収斂してしまうのは、見方を変えれば詩ではないといえるでしょう。詩の楽しみは人それぞれの解釈が生じるところにあり、俳句はその意味では短詩型ゆえに最も解釈の幅が広い詩といえるのかもしれません。

 「分かりやすさ」を求め、「手っ取り早く結論や教養」を求める昨今、「分からない」ことに立ち止まり、そこから起きる心の化学反応を楽しむことも意味があるのではないかと思います。俳句はたった十七音しかないので、一見タイパがいいように思いますが、作者のことばや想いが凝縮されているので、覗けば覗くほど深い世界が広がっていきます。「分からない」から始まる未来を堪能できる心の余白を持ちたいと思います。

筆者紹介

仲 栄司

Eiji Naka

大学でドイツ語を学び、1982年、日本電気(株)に入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国。
趣味は俳句。『ダリの時計』(句集)、『墓碑はるかなり』(評論)を上梓。
座右の銘は「南国のしあはせバナナあれば足る」
東南アジアの「空気感」が大好きです。