俳句エスプレッソ(15) ~一物仕立ての「切れ」~
- 俳句エスプレッソ
「俳句エスプレッソ(4)」に、俳句には「一物仕立て」と「取り合わせ」があると書きました。「一物仕立て」は一つの素材でまとめた句をいい、対象そのものをよく見て詠みます。「取り合わせ」の句は一句の中に二つの素材を配合する手法をいいます。違いは素材を一つに絞るかどうかといえます。
今回は「一物仕立て」の句について、角川の『俳句』(2025年3月号)に掲載された西川火尖の『カメラコントロールの「切れ」』をベースに見てみたいと思います。
「一物仕立て」の句であっても切字の「や」を用いることがあります。たとえば、「白藤や揺りやみしかばうすみどり 芝不器男」のような句です。ここでの「や」は「取り合わせ」の句のような「場面の切り替え」とは違い、「白藤」を強調するために使われています。だからこの句を「白藤の」に置き換えても意味は通じます。ただ、「一物仕立て」の句は、意味の断絶が起きないため、類想に陥りやすいといえるかもしれません。
「一物仕立て」の句では、強調や余韻だけでなく、「切れ」を境に対象をクローズアップしたり、拡大したりするという画角の切り替えも可能です。たとえば、「ごきぶりの死や腸をかがやかせ 松本てふこ」のような句です。
さらに画角変更ではないやり方もあります。それが西川のいう『カメラコントロールの「切れ」』で、<カメラコントロールの「切れ」を意識することで独自性を発揮する可能性は大いにあるだろう>と書いています。『カメラコントロールの「切れ」』とはどういうことでしょうか。
たとえば、「さみどりの何かや眼鏡かけて瓜 若林哲哉」の句。この句は<ピンボケ的な味を出すことに成功>しているといいます。また、「雪だるま性別は雪だと思ふ 高田祥聖」の句。この句は<「雪だるま」で軽く切り、見えない性別についてテロップをつけたかのよう>だといいます。こうした「切れ」のある一物仕立ての俳句はスマホネイティブ世代の格好のスタイルだと指摘しています。
「一物仕立て」の句でも、さまざまな「切れ」があります。俳句は「切れ」が大事だとつくづく思います。
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