熱帯と創作 (14) 『遙拝隊長』~国家と庶民~
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前回紹介した『花の町』の連載中、文壇は「流石に井伏だ、こちらにゐる時と同じ気持ちで書いてゐる」と喝采しました。全くそれだけのことが戦争中(1942年)の情勢では大変なことだったことがわかります。戦後、たいていの作家は、軍部の干渉や重圧を受けることがなくなり、強い調子で戦争を批判しましたが、井伏の創作姿勢は戦中も戦後も変わりませんでした。井伏の一貫性に作家の信念を感じます。
さて、今回は1950年2月号の『展望』に発表された『遙拝隊長』を取り上げます。天皇への遙拝に熱心な岡崎悠一という元陸軍中尉は、戦争中に頭を打ち、精神に異常をきたして故郷に戻ってきます。今なお戦争が続いていると錯覚し、自分は以前のとおり軍人だと勘違いしています。食事のときなど、お膳に向かって不意に威儀を正すかと思うと、「一つ、軍人は忠節を尽くすを、云々ーー。」と、五か条の文章の暗誦を始めたり、恩賜の煙草をもらうと、感極まった風で東へ向かって遙拝の礼をするのです。
悠一は小学校にあがった年に父を亡くしますが、学童として優秀で、母が人格者であり、模範的な一家であったため、村長が陸軍幼年学校への入学を推薦しました。村の期待を背負い、やがて陸軍中尉にまでなります。母子ともに立身出世の思いが強く、個人の野心に加え、社会や国に認められたいという欲求も強かったのです。
戦地から悠一が送還されたとき、「この隣組内に将校が帰って来ると鼻が高い」と言って、陸軍病院から退院させたのは近所の人たちでした。しかし、村に戻った悠一は奇行が目立ち、「遥拝隊長」と揶揄される存在になっていきます。その背景には、立身出世という近代日本を動かした価値観や欲望と同時に、村人たちもそれを唆してきたこともあったのです。その村人たちが戦後は悠一を攻撃する側に豹変します。敗戦を境に被害者であるとされた庶民の「加害者性」と加害者とされた陸軍将校の「被害者性」とに井伏の筆は淡々と切り込みます。
この作品を読んで、井伏は国家に翻弄される国民の姿を描くことで戦争の滑稽さや悲劇を浮き彫りにし、その背後に隠れている国家の戦争責任を問うているのではないかと思いました。身勝手に戦争を持ち込み、自国や他国の土地、人々を傷める国家に正義などあるのだろうかと静かに訴えているように思います。井伏の広角的な視線の中には自身を含めた国家に翻弄される庶民の哀しい姿があります。井伏がこの作品の中で、戦線の兵隊に次のように語らせている言葉が深く心に刻まれます。
「あれを見い。マレー人が、わしゃうらやましい。国家がないばっかりに、戦争なんか他所ごとじゃ。のうのうとして、ムクゲの木を刈っとる」
井伏が実際にマレー戦線で兵隊から聞いた言葉でもあったと思います。『遙拝隊長』は、国家とは何なのかを突き付けてくる作品ですが、このあとも井伏の筆は、「原爆投下」という悲劇をとおして同様のテーマに深く斬り込んでいきます。井伏の代表作品、『黒い雨』です。
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