ことばのさすらい
~「俳句」と「異文化」による出会い~

この一句

残りしか残されゐしか春の鴨

残りしか残されゐしか春の鴨

岡本眸

 冬、日本で過ごした鴨は、春になると北方へ帰っていきますが、なかには傷ついたり病気になったりして日本に留まる鴨もいます。そうした鴨を「残る鴨」といいます。「春の鴨」とは「残る鴨」とは限らず、これから帰る鴨も含まれます。 

 「残りしか」ですと、残ることを選んだので、これから帰ることもないでしょう。「残されゐしか」はやむを得ず残らざるを得なくなったかのようで、残らされた理由が解決すればこれから帰ることもあり得そうですが、実際に「残されゐしか」とはどういう状況だったのでしょうか。仲間からはぐれて残らざるを得なかったのか、病気になって帰れなかったのか。

 人生は選択の連続です。15年前、人事異動のタイミングで、専務から「その異動選択は火中に栗を拾いにいくようなもんだ。やめとけ」と言われましたが、私は自分で決めて異動しました。結果はうまくいきませんでしたが、不思議なくらいに何の後悔もありませんでした。自分で決めれば結果がどうなろうと後悔しないことがよくわかりました。強引に勧められて選択した場合は、うまくいかなかった時、きっとその人のせいにしてしまうような気がします。

 「残りしか」の鴨になりたいものですが、人生は時に「残されゐしか」の状況に追い込まれることもあります。しかし、そのときでも最後は自分が決めるという姿勢を持ちたいと思います。たとえ残らざるを得ない状況にあったとしても。  (2026.02.26【27】)

筆者紹介

仲 栄司

Eiji Naka

大学でドイツ語を学び、1982年、日本電気(株)に入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国。
趣味は俳句。『ダリの時計』(句集)、『墓碑はるかなり』(評論)を上梓。
座右の銘は「南国のしあはせバナナあれば足る」
東南アジアの「空気感」が大好きです。