「俳句の視点から」(6)足し算と引き算
- 俳句の視点から
西洋と東洋の生き方に対するスタンスを考えたとき、乱暴に言ってしまえば、西洋は足し算志向、東洋は引き算志向が強いように思います。
そんなことを思っていたとき、『人生後半の戦略書』(2024年刊、アーサー・C・ブルックス)におもしろいことが書いてありましたので引用します。台湾の国立故宮博物院を訪れたときにガイドから次のようなことを著者は言われました。
清朝時代に作られたどっしりとした翡翠の仏像を見ていたとき、「この作品には、東洋的な芸術観と西洋的な芸術観の違いがよく表れていますね」とガイドが何気なく言いました。
「どう違うんですか?」と私は尋ねました。
ガイドは多くを語らず、質問に質問を返しました。
「これから制作されようとしている美術作品を想像してください、と言われたら、どんなものを想像しますかか?」
「真っ白なキャンバスですかね」
「そのとおりです。あなた方西洋人は、芸術は無から生み出されるものだと考えているからです。東洋では、芸術はすでにあって、それを明らかにするのが人間の仕事だと考えます。足すから見えるようになるのではなく、芸術でない部分を取り除くから見えるようになるんです」
著者はこのガイドの言葉を聞き、人生において「足し算を続けることが果たして幸福を得る正しい方程式なのか」と疑問を持ちます。世俗的な成功を通して世間からの見返りばかりに執着していると、不満ばかり覚えてしまいます。見返りを得られなければ余計に苦しみます。著者は欲への執着心を捨て、欲を増やすことを止め、削ることを考えよといいます。満足はより大きなものを追うよりもより小さなものに注意を払うことから生じるともいいます。
既にあるものの価値を見出していく考え方は俳句にも通じます。この書に書かれている「芸術を見出すためにそうでない部分を取り除く」ためには、よく観る必要があります。俳句では「写生」が大事といわれる所以です。また、蓑虫や蚊など小さな命の世界をも俳句では詠み上げます。著者のいう「小さなものに注意を払う」姿勢は俳句の基本スタンスでもあります。見出した美、小さな美をたった十七音の言葉に絞り込みつつ、表現、リズムを練り上げていくのが俳句です。俳人の福永耕二は、「最後に残った十七音の言葉に対するぎりぎりの愛情が人に訴え得る」と『沈黙の詩型』に書いています。俳句は明らかに引き算の文芸といえます。
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