「熱帯と創作」(4)『昭南島に蘭ありや』~国家のエゴを考える~
- 熱帯と創作
かつてシンガポールには「昭南島」と呼ばれた時代がありました。1942年2月15日から1945年9月12日までのわずか3年半、日本軍がシンガポールを占領した期間です。シンガポールは、「東洋のジブラルタル」と呼ばれ、英軍の重要な戦略拠点でした。降伏交渉の際、条件を付けようとするパーシバル将軍に山下将軍が「降伏するかどうかはっきりせよ」と通訳に問い質しました。それが「イエスかノーか」と迫ったエピソードです。
佐々木譲の『昭南島に蘭ありや』は、大東亜戦争開戦前夜から終戦までのシンガポールを舞台にした小説です。作品そのものはフィクションですが、東条英機、山下奉文、チャンドラ・ボースなど実在の人物も登場させ、史実を織り交ぜながら巧みに物語を展開させています。
題名の「昭南島」には、シンガポール陥落や華人大虐殺という歴史的事実と日本軍の居丈高な態度が包含されています。また、「蘭」は、シンガポールの国花です。摩耶は日本の貿易商の娘で、日本の占領後は内務省の役人と結婚する自由奔放なお嬢様。しかし、当初の清純さに翳りが兆し、所詮は体制側の人間でした。一方、主人公(台湾人)を助けるシンガポール出身の麗那は、最後まで主人公を守り抜き、年老いてからは気品あふれる婦人となりました。「蘭」=気品ある女性、は「昭南島」にはなく、「シンガポール」にこそあるのだと強く思いました。
物語は、東条英機の暗殺未遂などスリリングに展開しながらも、国籍、アイデンティティの希薄な主人公を据えることで、戦争における国、個人のあり方の不確かさや日本人の自国本意の姿を浮き彫りしています。華人の大量粛清実施に藤原少佐が駆け込み、山下中将、鈴木参謀長、辻参謀に質すくだりは非常にリアルな描写で、実際にそんな場面があったのではないかと思いました。こんなことでは「昭南島」に蘭など存在するわけがありません。『昭南島に蘭ありや』は、日本軍の傲慢さの最たる象徴である華人大虐殺の事実を突き付けた小説でもあるのです。
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