ことばのさすらい
~「俳句」と「異文化」による出会い~

Blog

ブログ

「俳句の視点から」(4)「コアな部分」をさらに研ぎ澄ます

  • 俳句の視点から
「俳句の視点から」(4)「コアな部分」をさらに研ぎ澄ます

 2年前、20年ぶりに車を買い替えました。その際、いろいろなブランドの車を見て回りましたが、デザインではマツダの車に惹かれました。美しいボディや色、光の反射具合などエレガントで心地いいのです。いったいどういう考えでデザインを打ち出しているのか興味が湧きました。

 マツダのデザインはマツダブランドの全体を貫く「魂動」を立ち上げた前田育男によるところが大きいようです。前田はデザインの方向性は「まずシンプルでありたい」と言います。世の中がビジーに動く中、あえて「独りぼっち」になってやろうと思ったとのことです。世の流れに迎合せず、オンリーワンをめざしたということのようです。

 また、車の100年の歴史の中でデザインの黄金期と呼ばれる時代にマツダは、職人が魂を込めてつくったフォルムの完成度をリスペクトしています。シンプルだけど鉄板にしか出せない味わいがあるというのです。その味わいを大切にし、今でも基本のフォルムは手作りに頼っています。

 一方で「光を操る」というテーマへ向け、美しいボディへのリフレクション(映り込みや反射)づくりに高度なデジタル技術を活用します。フォルムの手作りに手間をかけながら、リフレクションはコンピューター制御でとハイブリッド方式の開発を行っています。手間を省き、効率化を図るためにデジタル技術を活用するのではなく、「ものづくり」の伝統を生かすためにデジタル技術を活用しているのです。その根底にあるのは、「引き算」の思想だと前田は言います。それは枯山水の発想でもあります。

 「あの凛とした緊張感を表現するための<空間の間>の取り方。最低限の要素である石、砂をどう配置するか、大きなコンピューターがないと正解が出ないくらい難しかった精密な作業を、昔の人たちは時間をかけて、自分の感覚だけを頼りにつくり上げていた」と言うのです。要素を最低限にまでそぎ落とすことは勇気のいることで、難しいことだという前田は、だからこそ「捨てる勇気を持つためには、捨て去った後に残るコアな部分を、皆さんが感動してくれるレベルに研ぎ澄ます努力が必要です。そして、手間をかけるということを無駄だと認識しない事。効率化は目的ではなく、良いものを生むために不要な無駄をそぎ落とす一つの手段です」と言います。

 この「引き算」の発想、「捨て去った後に残るコアな部分を研ぎ澄ます努力」はまさに俳句にも当てはまる考えです。俳人の福永耕二は『沈黙の詩型』において「俳句においても、今一度沈黙の意味を考え、饒舌を避け、最後に残った十七音の言葉に対するぎりぎりの愛情をもって人に訴えるべきである。それ以外に俳句における抒情の方法はあり得ない」と書いています。

 ぎりぎりまで省略して言葉を選び、そこからさらに表現、調べを研ぎ澄ませていく俳句の世界。美しい車を手間暇かけてコアな部分を研ぎ澄ますという「ものづくり」の世界。ぎりぎりに削り取っておしまいではなく、削り取られた「コアな部分」をさらに研ぎ澄ます。この行為こそがつくり手のぎりぎりの愛情を強く伝えるのだとあらためて認識しました。

 

筆者紹介

仲 栄司

Eiji Naka

大学でドイツ語を学び、1982年、日本電気(株)に入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国。
趣味は俳句。『ダリの時計』(句集)、『墓碑はるかなり』(評論)を上梓。
座右の銘は「南国のしあはせバナナあれば足る」
東南アジアの「空気感」が大好きです。