第78回 I was wondering how to successfully complete this project.(このプロジェクトをどううまく落着させるか悩みました)
- グローバルの窓(海外体験記)
パートナー企業のキーパーソンが次々退社
蓄電池システムの実証試験は、コントローラー問題の解決に手間取りながらも、ゴパルの頑張りで少しずつ前へ進み出しました。一方、EDB(経済開発庁)のエネルギー革新プロジェクトは、プロジェクを一緒に推進してきたパートナーである米スタートアップ企業のNO.2と開発の責任者が半年と経たず、ほぼ同時に辞める事態となりました。さらにインドの開発部隊のトップもその3か月後に辞めました。
このプロジェクトは、シンガポールパワー社に停電と保守の監視システムを導入するもので、シンガポールパワー社が電力オペレーションのノウハウを提供、パートナー企業がソリューションを開発、それを我々がプロマネするという体制でした。しかし、三人のキーパーソンの欠如により、パートナー企業のアメリカ本社のインド開発チームへのマネジメントが機能せず、しばらくは我々がアメリカ本社とインド開発拠点の両方とコミュニケーションを図りながら、シンガポールパワー社とやり取りせざるを得ない状況になりました。
我々の負担は大きく、私を入れて3人しかいない中、ベンカット(インド系)をシンガポールパワー社に常駐させました。その結果、シンガポールパワー社とのコミュニケーションは格段によくなりました。しかし、いかんせんパートナー企業の開発力が脆弱で、スケジュールは大幅に遅れることになりました。
開発責任者をシンガポールに
会社が違うので、インドの開発チームを我々がマネジするのには限界がありました。私はパートナー企業の社長に開発をマネジできる人をシンガポールに派遣するようお願いしました。アメリカ本社から送られてきたその責任者は、なかなかの堅物で、私の部下のゴパルやベンカットとの折り合いは芳しくありませんでした。我々は本プロジェクトがシンガポールパワー社との共同開発であることを踏まえ、開発を推進しようというスタンスでいましたが、アメリカから来た開発責任者は自分の会社の立場から進めようという姿勢が強く、ゴパルやベンカットとよくぶつかりました。私が間に入ることもしばしばでした。
プロジェクトは右往左往しながらも少しずつ前へ進み出しました。ベンカットの常駐の効果もあり、シンガポールパワー社の我々への信頼は相当強いものとなりました。しかし、いかんせんパートナー企業の開発力が脆弱で、アメリカから来た開発責任者のやり方も混乱を招き、苦戦する状況は続きました。
買収!
共同開発を開始してから2年が経とうとしていました。パートナー企業が欧州の大手企業に買収されるという話が漏れ聞こえてきました。私はパートナー企業が買収される前に本プロジェクトに目途をつけようと急ぎました。お客さまの接待から抜け出して、アメリカのパートナー企業の社長に何度か電話をし、開発終了へ向け、事態の改善と進捗を促しました。「レベル33」というマリーナ湾に面した高層ビルの33階のレストランから大きな声でその社長を怒鳴り散らしたことを今でも覚えています。眼下に見えるシンガポールの夜景はいつもと変わらず美しく、私の怒声が空しく響いていました。
結局、買収前にプロジェクトを終わらせることはできず、プロジェクトの開発のマネジメントはパートナー企業を買収した欧州の大手企業に移りました。パートナー企業の社長と欧州の大手企業のシンガポールの責任者3名と私とで引き継ぎを兼ねたランチミーティングを行いました。インドの開発部隊は変わらなかったのですが、マネジメントがアメリカからフィンランド(本社)へ移り、実質はシンガポールの子会社がマネジすることになりました。
新たな苦悩の始まり
プロジェクトは大手欧州企業と新たな出発となりましたが、シンガポールの責任者は現場に降りてこず、私はこのプロジェクトはこのままでは崩壊すると感じました。シンガポールパワー社も何とか事態を打開し、次のステージ(大洋州アジア市場攻略)へ移行したい考えでした。但し、次のステージでは、大手欧州企業を除き、我々とだけで一緒にやりたい旨非公式に伝えてきました。しかし、我々には本プロジェクト領域において、開発のノウハウはありませんでした。また、その頃、本社サイドでエネルギー事業を縮小する動きが始まっていました。本社サイドの事業縮小の動きがなければ、私ももう一勝負する可能性を模索したのですが、本社のサポートなしに我々シンガポールだけでチャレンジするにはリスクが大きく、踏み込めませんでした。
事態の急変に直面し、私は本プロジェクトをとにかく三社が納得するかたちで終了することに目標を絞りました。EDB(経済開発庁)とわが社の関係(エネルギー以外の事業)は非常に良好でしたので、このプロジェクトが失敗に終わり、EDBとの関係に悪影響を与えることは絶対に避けたかったのです。しかし、三社が納得するかたちでプロジェクトを終了させるにはどうすればいいか。私の新たな苦悩が始まりました。
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