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俳句エスプレッソ(13) ~「季語」と「季題」は違うのか~

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俳句エスプレッソ(13) ~「季語」と「季題」は違うのか~

 俳句の本を読むと、「季題」と書かれたり、「季語」と書かれたりします。「季語」は歳時記にも載っていてすんなり入ってくるのですが、「季題」と言われると、「えっ、季語ではないの?」と思ってしまいます。ホトトギス系の人は「季題」とおっしゃいます。違いはあるのでしょうか。

 「季題」を調べると、もともと備わっている季節の特性や気分と、歴史的、文学的に伝承されてきた美的情緒、を意味するとあります。これって「季語」も同じじゃない?と思います。う~ん、よくわかりません。

 深見けん二(1922-2021年)という虚子に師事し、「花鳥諷詠」や「客観写生」の実践と普及に努めた有名な俳人がいます。インタビューで『「季語」という言葉も「季題」と同じ意味に使われていますが、季題にあるあらゆる特性を活かし、季題に心を託して作句しようとする立場の私たちは、「季語」ではなく「季題」という言葉を使います』(『図説・俳句』2011年刊)と語っています。ここでも違いはわかりませんが、明らかなのはホトトギス系の俳人は「季語」ではなく「季題」という言葉を使うようです。

 深見はさらに、『季題と一つになる客観写生をくり返すと、「授かった」としか言いようのない作品ができることがあります。それが「自然と共に自由」であり「季題と共に自由」ということなのでしょうか』とも語ります。これはいみじくも「花鳥諷詠」の俳句観を語っています。どうやら「季題」という言葉は「花鳥諷詠」の俳句観を表すテーマではないかと思います。「花鳥諷詠」の俳句観を根っこに置けば、「季語」ではなく「季題」ということになるのでしょう。

 以上より私なりの解釈は次のようなものです。 「花鳥諷詠」の俳句観に立つならば、「季語」は「季題」に含まれることになります。

  「季語」は、句の中にある季節を表す言葉で具体的な言葉

  「季題」は、句全体を包み込む世界で根っこに「花鳥諷詠」の俳句観がある

   *「花鳥諷詠」については、第8回の「俳句エスプレッソ」をご参照ください。

 深見けん二の代表作を最後に掲げて終わります。(この句は「この一句」で鑑賞しています)

  人はみななにかにはげみ初桜  深見けん二

 

筆者紹介

仲 栄司

Eiji Naka

大学でドイツ語を学び、1982年、日本電気(株)に入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国。
趣味は俳句。『ダリの時計』(句集)、『墓碑はるかなり』(評論)を上梓。
座右の銘は「南国のしあはせバナナあれば足る」
東南アジアの「空気感」が大好きです。