熱帯と創作(12) 『徴用中のこと』~井伏鱒二の静かな反骨~
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戦争に対しふだんと変わらない対応をした作家がいました。林芙美子などは「漢口一番乗り」のように我先にと従軍作家として戦地へ赴きましたが、この作家にはそうした力みは全くありませんでした。太平洋戦争勃発直前の昭和16年11月に陸軍の「徴用令」を受けて、マレー戦線に従軍し、そのあとシンガポールに1年近く滞在し、のちに原爆小説『黒い雨』を書いた井伏鱒二です。
井伏は、戦後30年以上経った1977年9月から80年の1月まで『徴用中のこと』を自身の戦争体験の記録として連載しました。戦争は人間の「生死」に関わる出来事であり、人間の「内部」に尋常ならざるものを生起させる出来事であるとの確信をもって、淡々と事実を基に当時の様子を記しました。たとえば、第28回をみると、次のような文章があります。
<あの事件は、思ひ出すたびに残念でならないのだ。粛清の始まる前の情況のうち、私の記憶に残つてゐるのは、何千人もの華僑が広場に集結してゐる光景である。私は昭南タイムス社へ通勤の行き帰りに、ところどころの広場でそれを見た。そこに三千人、あそこに二千人といふやうに集結させられてゐた。ジャラン・プッサールの広場、アラブ街の広場、警察署の近くの広場でも見た>
これはシンガポール陥落後すぐに実行された華僑大虐殺のことで、戦争中は軍の検閲を通らなかった原稿です。<私の書くものは、遊び気分に傾き、戦意高揚の気に乏しいとのことで、たいてい五回に四回ぐらゐの割で検閲を通らなかった>と第9回に書いていますが、この場面が「遊び気分」で書かれたものでないのは明らかです。
第29回(最終回)では、井伏が山下マレー方面軍最高指揮官の視察訪問に気づかず、叱られる場面が記されています。
<司令官は私に向って、「これは何者だ」と大きな声を出した。私は咄嗟に答へが出来なくて、代りに阿野中佐が、「これは宣伝班員であります」と云つた。司令官は私を睨みつけて怒鳴つた。「軍人は礼儀が大事だ。こんなものは、内地へ追ひ返してしまへ」「はい」と私は答へた。瞬間、本当に内地へ帰してくれるのだろうかと思つた。それより先に、「はい」と云つた自分の声を情なく思つた。それは私が自分の家庭で中学一年生の長男を叱るとき、「はい」と答へる長男の声そつくりであった>
この山下軍司令官に叱り飛ばされた出来事は、一時は宣伝斑の同僚たちの間で噂の種になりました。宣伝斑のスキャンダルだと言う人もいたそうです。このように自分の不名誉な出来事も事実を捻じ曲げずに提示するのが井伏という作家です。その書きぶりもどこか飄逸で、「本当に内地へ帰してくれるのだろうか」と思ったあたりに、井伏の力みのなさとともに静かな反骨心を感じます
一方、井伏は徴用でシンガポールに滞在したときのことを小説にも書いています。『花の町』です。この小説を読むと日本軍の占領下のシンガポールの一端が垣間見られるとともに、井伏がどのように戦争に向き合っていたかがよくわかります。次回は『花の町』を取り上げます。
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