熱帯と創作 (11) 『ナニカアル』~林芙美子の恋の真実~
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林芙美子の書いた小説『浮雲』の背景にある現実のできごとが別の作家の手によって創られました。桐野夏生による小説『ナニカアル』です。林の南方スラバヤの体験と恋を小説という虚構のかたちで書き上げたのです。桐野はあたかも林の時代に生きて、林や高松(林が実際に恋をした相手)の言動を実際に見聞きしていたかのように鮮明に描きます。小説のかたちを借りて当時の林の心境を語ります。見事な反転小説です。
斎藤(高松と想定される男)はブルネオに軍に協力して視察中の林と再会を果たします。二人は再会を喜び合いますが、やがて林は斎藤にスパイ容疑が掛けられていることに気づき、斎藤に潔白を証明しよう、と言います。自分の当番兵が憲兵であるようだとも言い添え、当番兵に話を持ち掛けようと言う林に斎藤の怒りは爆発します。林の甘さに「国家に疑われた人間は二度と浮上できない、無実の証明などできないんだ」と。この時の斎藤の言い放った次の言葉は林を打ちのめします。
<きみは好きだが、あの一番乗りのルポはいかん。軍の思惑に載せられた馬鹿な女のルポだ。いいかい、きみの書いた物など、十年後には何一つ残っちゃいないんだよ。そうだな、『放浪記』は、歴史的検証物として残るかもしれない。だけど、他の作品は一切残らないぜ、絶対に。俺が断言するよ。そんなことを言って悲しくないかって?いや、悲しくなんかない。俺が好きな女は、その程度の作家だったんだからさ。だけど、女としては可愛かった。いい気になって従軍して、軍部の手先になって、馬鹿な文章を書き残した。そんな程度の女だ>
このように、愛する男から作家としての矜持を粉々に打ち砕かれた林は、愛人の思いやりのない行為に失意の涙を流します。この喪失感を桐野は<恋の終わりって何も始まらないわね。本物の虚無よ。何も残らないし、何も始まらない。無残な焼け跡よ>と林に言わせ、「無残な焼け跡」と表現することで失恋と敗戦の虚無感が通底していることを示します。
高松(小説では斎藤)との恋は、戦争が恋と不可分であり、作家としての林の存在意義を突き付けられるものでした。愛人から作品を否定され、恋を失い、敗戦を迎えた林にとって、戦後はただ書くよりほかなかったのだと思います。書くことで恋を、戦争を超克しようとしたように思います。恋も戦争も林にとっては、畢竟、同次元で向き合うべきことであり、それが生きることでした。だから林の戦争体験は敗戦後の作品に結実したのでしょう。そこに林芙美子という作家の真実があるのではないかと思います。
『ナニカアル』には、実は大きな秘密が提示されています。林は南方から帰国するや養子をもらいますが、物資が欠乏する時期になぜ養子をもらったのでしょうか。桐野はその答えを養子は実は林の実の子だったと明かします。戦争の真っただ中に大恋愛をし、子まで授かったとすれば、これほど林芙美子という作家を象徴することはありません。大胆な推理ではありますが、林の心の奥深くまで入り込み、深い傷を共有し得た桐野が探り当てた真実です。それは恋に、戦争に、生きることに真摯に向き合った林芙美子という作家の何よりの生きた証ではないかと私には思われます。
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