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熱帯と創作(10) 『浮雲』~戦争への贖罪~

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熱帯と創作(10) 『浮雲』~戦争への贖罪~

 林芙美子は、太平洋戦争中、南方を訪れました。中国戦線の泥まみれの従軍に比べ、南方戦線は視察の域を出ず、戦時下にもかかわらず贅を極めた戦争協力の旅でした。このときの経験を踏まえ、小説『浮雲』は書かれました(1951年に完了)。

 農林省に就職した寺田ゆき子は、伊庭と不倫関係に陥り、その関係を断ち切るべく、仏印へ志願し、赴任しました。そして、楽園のようなダラット(現ベトナムの街)で農林研究所研究員、富岡兼吾と出会い、恋に落ちます。内地に戻ったら結婚することを約束した富岡でしたが、内地に引き上げた富岡は、彼を頼りにする親や妻子を捨てられません。一方、ゆき子は熱帯の甘美な日々が忘れられません。戦後の荒廃した世相で二人は堕落していきますが、関係を断ち切ることも前へ進むこともできませんでした。やがて富岡は転機を求めて屋久島の営林署へ赴く決心をし、ゆき子もついて行きます。しかし、屋久島でゆき子は病に倒れ、富岡は、ゆき子の死を悼みます。

 以上が『浮雲』の簡単なあらすじです。戦時の南方での生活に郷愁を感じるゆき子の姿は、林の「南方はパラダイス」と言ったことばと通じ合います。一方の富岡は、敗戦後は空虚感を抱いて生きていきます。『浮雲』の最後の文章はそんな富岡の孤独と絶望を描写しています。

 <富岡は、まるで、浮雲のような、己れの姿を考えていた。それは、何時、何処かで、消えるともなく消えてゆく、浮雲である>

 高山京子は『林芙美子とその時代』で、<自分の行為がはからずも日本という国とその国民を荒廃に陥れることに加担していると知った時、彼女ははじめて自分自身にも絶望したのである>と記し、敗戦の挫折感を塗り込んだ作品が『浮雲』だったと解釈します。さらに、戦中に郷愁を感じる自分(ゆき子)を殺し、敗戦により加害者としてのうしろめたさを引きずる自分(富岡)を生き残らせた『浮雲』は、林の遺書と贖罪の書でもあったと主張します。

 『浮雲』は、最後まで恋に生きようとするゆき子を死なせることで戦争の片棒を担いだ自分を抹殺する一方、浮雲のように虚無的に生きる富岡を敗戦後にさらすことで、死ぬまで罪を背負って生きるもう一人の自分の覚悟を示した小説だったのかもしれません。林は、敗戦から6年後の1951年6月に突如、心臓麻痺で亡くなりました。享年47。執筆活動で多忙を極めていたといいます。贖罪の思いから、戦後はひたすら書き続けたのかもしれません。火野葦平は敗戦の15年後に自殺しました。林芙美子は自殺ではありませんが、若くして亡くなりました。国民作家と言われた二人は、内に戦争への贖罪意識を強く持ちながら、生涯を閉じました。

筆者紹介

仲 栄司

Eiji Naka

大学でドイツ語を学び、1982年、日本電気(株)に入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国。
趣味は俳句。『ダリの時計』(句集)、『墓碑はるかなり』(評論)を上梓。
座右の銘は「南国のしあはせバナナあれば足る」
東南アジアの「空気感」が大好きです。